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年間キャンペーン・農業から「食業」へ 「悩める豚丼」(下)
登録日時:2011/01/04 14:53 [ 豚丼ニュース ]
- 2011年1月4日掲載十勝毎日新聞紙面より -

「鳥もつ煮」から学ぶ一歩
 「B-1グランプリin厚木」で「甲府鳥もつ煮」が頂点に輝いてから3カ月。師走を迎えた山梨県甲府市には日本一の余韻が残っていた。

 JR甲府駅の改札を出るや目の前に「甲府鳥もつ煮」の大きなのぼりがはためく。
 駅前に張られたポスターには「全国制覇」の文字が躍る。街で出会った団体職員の女性(34)は「郷土の自慢の一品です」と胸を張った。

■「甲府を元気に」
 「甲府鳥もつ煮」の誕生は1950年ごろだ。市内の老舗そば屋で働いていた塩見力造さん(84)=とんかつ力(りき)経営=が考案した。「使われずに捨てられていた鳥のもつを活用できないか」と考えたのがきっかけだった。

 強火に掛けて短時間で水気を飛ばしてあめ状にしたタレでもつをコーティングし、照りを出した。砂肝のコリコリ感、しこしこしたハツ、レバーの軟らかさ、ぷちっとしたきんかん(生まれる前の卵)が織り成す食感のハーモニー。市内のそば屋の定番中の定番に成長した。

 「鳥もつ煮で甲府の街を元気にしたい」。2008年、卸売市場で働いていた土橋克己さん(37)=現甲府市職員=ら30代の有志が「みなさまの縁をとりもつ隊」を結成した。B-1を目指そうと、元祖である老舗そば屋に協力を求め直談判した。しかし、答えはノー。「鳥もつ煮はイベントで出す料理ではない」が返事だった。

 活動は頓挫しかけた。この時、塩見さんの長男順造さん(60)が「若い世代の力になりたい」と助け舟を出した。

 「(鳥もつ煮に泥を塗るような)何かあったら(自分の)店を畳む」と老舗を説得した。「店以外では火力が弱く、鳥もつ煮の命である照りが出ない」という職人の声に、限りなく店で食べるものに近いイベント用鳥もつ煮を作ってみせた。とりもつ隊と若い調理人の仲介もした。そして、同隊の活動が順調になった段階で表舞台から身を引いた。-以後の同隊の飛躍は前記の通りだ。

 「市民が自分たちの料理に自信と誇りを持ち、自分の街が好きになった」。土橋さんが感じた最大の収穫だ。

■「一丸」の動きなく
 十勝には、鳥もつ煮と同じように、「豚丼」という定番がある。飛躍への「芽」はあるのか。

 あちこちの店で豚丼がメニュー化された1980年代。ぱんちょうの常連客が「豚丼」を商標登録すべきだと初代・阿部秀司さん(故人)に助言した。しかし秀司さんは「食べ比べが豚丼全体の向上につながる」と拒否した。三代目の幸子さんも「豚丼が地域の味として広がってほしい」と願っている。

 しかし、その後の大きな一歩がない。帯広市観光課は3年ほど前に「豚丼マップ」作成を目指し、飲食店のリスト作成に着手した。「まさかこんなにあるとは」。専門店、喫茶店、病院の食堂…。職員がため息をついたという。150店ほどの情報を集めた段階で、帯広観光コンベンション協会に引き継がれたが、完成のめどは立っていない。情報の一部は「おびひろ飲食スポットマップ」(同協会発行)に利用されているだけだ。

 老舗同士も遠慮しあい、「業界一丸」の動きもない。先月、小室直義富士宮市長が「豚丼もB-1に」と呼びかけた時、居合わせた帯広市の行政・観光関係者から具体的な反応はなかった。

 とりもつ隊の土橋代表が、辛口の助言をくれた。「『全国民が鳥もつ煮を知らなければ、ないのと一緒』という考えで活動を始めた。どんなに反発が予想されても動きだすことが大事。行政がよく口にする『PRは業界がやること』も逃げ口上だ」(原山知寿子、関根弘貴)

<B-1グランプリ制覇の経済効果>
 甲府鳥もつ煮が日本一になった後、市内のそば屋の売り上げは3、4倍に増加。JR乗車率や付近の中央高速道ICの利用は前年まで減少傾向が続いていたが、微増に転じた。地元シンクタンク「山梨総合研究所」は「甲府鳥もつ煮」が1年間でもたらす経済効果を28億円と試算した。

元祖 豚丼のぱんちょう

味の末広

「道の駅」ピア21しほろ

あさひ食堂

お食事処 香味屋(かみや)

海鮮 蔵

旬彩・天ぷら 心喜一天

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